行革に対する国民的理解のために(その2)

行革に対する国民的理解のために(その2)

ニュー・ジーランドの行政改革に学ぶ

概要
ニュージーランドの国土面積は日本の3/4、農業がGDPの15%以上を占めている
(日本は10%)。行革の始まった84年以降、農業に対する全ての補助金はなくなって
る。その意味で、もはや農業国家ではない。
また総人口は約350万人。日本の人口の約35分の1と規模は非常に小さい。しか
し、84年以降、徹底的な規制撤廃、民営化、財政再建等により世界的に耳目を集めてい
る。
改革の3つのポイントは規制の撤廃、補助金のカット、雇用に関する自由契約立法であ
る。規制の撤廃と補助金のカットは労働党政権時代に、雇用立法については国民党政権が
引き続いて実施を行ってきた。
ニュージーランドの経済は1960年代で一人あたりの国民所得が世界第3位と、もと
もと優位にあった。しかし70年代に入り、宗主国のイギリスがEC加盟したこともあ
り、特恵関税を失い、73、79年の2度のオイルショックを経て、経済の停滞、税収の
低下をまねいた。これに対し、82年には当時の国民党政権が賃金・価格・金利の凍結、
公共投資の拡大など規制色の強い政策を採って対応した。このため、経済は逆に落ち込
み、この機をとらえて労働党が84年に政権をとったのである。このときのロンギ首相は
41才、ダグラス蔵相が45才、改革の参謀スコット氏は大蔵省官僚で38才であった。
具体的に採った政策は、市場介入のない為替、関税の自由化、預金貸出金利に対する自由
化、農業畜産への補助金撤廃、消費税の引き上げと、所得税法人税の引き下げ、国営事業
の民営化、通産省、化学産業研究省、建設省、エネルギー省、郵政省の廃止など非常に革
新的なものであった。林業省、農業漁業省、教育省、保健省、科学技術省、運輸省なども
大幅な縮小となり、10年間で88千人いた国家公務員が34千人と半分以下となった。
郵政省は、郵便貯金事業、郵便事業、電話事業に3分割され、政府部門事業からそれぞ
れ国有企業となった。そしてそれぞれの企業での赤字の解消を図るため、独立採算とし
た。その結果、各部門とも健全化し、電話事業は現在、完全民営化している。電気通信事
業も国営の時は、職員が24千人いたが、今現在8千人である。また、運輸省はかつて監
督官庁の中でも最も力を持っていた。70もの部門に4500人近い職員がいて、バス・
タクシー・トラック・鉄道・航空・海運・港湾などの分野で許認可規制を行っていたが、
規制撤廃と自由化の結果、今や職員はたったの60人である。国内航空業界での規制は無
くなり、更に海外からの投資に対する規制も撤廃されている。我が国のように航空3社
が、実質的に談合をして、新規国内航空会社を排除しようとするような所では、海外の航
空会社を入れる等の本格的規制撤廃が必要である。そうでなければ、現在の航空3社が結
託して行っている実質値上げの航空料金体系などの浅ましい行動はなくならないであろ
う。

マーケットメカニズムへの信頼
以上のように、結果として国家公務員を半数以下に減らすなどの極端な行革の結果、失
業率の増加などの痛みを伴ったものの、1985年度に11億8600万NZドルの赤字だ
った国の財政は、1994年度には26億9500万NZドルの黒字に転換した。
この一連の改革の中で、日本の県にあたるregionは22から14へ、市町村にあたる
cityとdistrictは205から74へ、400以上あった特別公共団体は7へと法律によっ
て削減された。加えて、自治体は全て重要施策の決定について住民の意志を尊重せねばな
らなくなった。これは日本の状況対応型の行政と異なって、理念対応型の行政の真髄が地
方行政に具現化されているという点で、真の民主主義である。日本の場合は、まだ役所主
導の社会主義の段階である。すなわち、行政施策について徹底的に住民に相談を行い、最
終判断も住民に委ね、行政が裏方に徹することにより、住民が必要としない事業は行われ
なくなるわけである。加えて、個別的・地域限定的な課題は自治体ではなくcommunityが解
決することになったため、行政が介在する課題が減り、自治体が固有の事務に専念できる
ようになったばかりか、財政再建に大いに役立つこととなった。
具体的には、各自治体は毎会計年度の4ヶ月前にdraft planを公開し、住民の意見を集
約してannual planを作成する。そして、1年間の会計年度で実施した行政の成果を年間調
査等により住民に評価してもらい、その結果を数字等で示したannual reportへまとめる
ことになるのである。これによって、事業の目標と目的が明らかになるとともに、各自治
体は、日本のように各課が予算要求事務や査定事務に没頭することなく、住民調査等の民
主主義強化の業務や企画業務に専念できるようになった。
また、1996年の法改正により、各自治体は10年間の財政戦略を作成・公表しなけ
ればならなくなったため、時のアセスメントも容易に行われるようになりつつある。
財務的には、各自治体は、貸借対照表と損益計算書を作成・公表するようになるなど、
日本型の予算が余れば使い切るなどという馬鹿なことはやらない。これによって行政側の
コスト意識が強化され、支出の無駄が省けるようになった。
行政の評価が予算の執行率から住民評価に変化したことは、事務の軽減にもつながっ
た。
特に、公共資産に減価償却費の概念が取り入れられたことは、維持費のかかる公共資産
の保有、管理、売却の判断に係る行政と住民の意識を大いに向上させたといえる。
基本的に、以上の施策が可能となったのは、1982年に成立した行政情報に関する法
律に基づく情報公開が根底にある。日本はこれに遅れる2001年4月からようやく情報
公開法の施行となる。
ニュージーランドの行革の大きなテーマの1つは、徹底的に市場原理を信頼し、行政の
経済に対する関与を極めて少なくすることである。
この主題に基づいて、ドラスティックに補助金のカット、許認可事務の廃止、公務員の
削減、民営化、民間委託等が行われた。
その中で、公社の民営化等の過程で自治体が株主となり、配当金と納税で債務を補てん
するという、日本では考えられない行革手法がある。
すなわち、民営化による利益が期待できない公社は公社やtrustとして残す一方、民営化
による利益が享受できそうな公社は、最初に公営企業となり、その後の動向次第で一般企
業へと移行する。これによって、公社時代は現在の日本と同様、自治体の一般会計から公
社に補助金を出していたものが、公営企業化後の営業利益によって、自治体への配当金の
支払いと納税が行われるようになる。さらに一般企業に移行されると、職員の自社株取得
が可能になって、勤務意欲向上と自社の発展に対する貢献の意識、職員の事故や病気の減
少、サービス向上、効率性向上、株価の上昇、及び収益増に伴う自治体への配当額・納税
額の増加がもたらされ、自治体の財政好転の大きな要因となるのである。
その他、海外への公社等の資本売却の自由化により、海外からの資本投資が活発化し、
海外の進んだ経営手法の導入にもつながった。なお、懸念された大幅な海外への資本流出
という事態も起きていない。こうした自由化政策等を伴う市場重視の経済政策が、高い経
済成長と中間取引の減少等による低インフレをもたらしたのである。

ニュージーランドの行革からいかに学ぶか
まず、ニュージーランドの行革から、我々は民主主義は金がかかるというイメージを払
拭することができる。自治体、国の財政に係る貸借対照表と損益計算書を作成してみる必
要性がある。これによって遊休資産の把握や、費用対効果の把握による適正支出に向けて
の指針が出来上がってくる。これにより縦割行政の弊害からの脱却が図れ、適正な予算人
事配置が可能になってくる。また、民間委託の拡大をおこない、工事の工程管理、公共構
造物の維持管理業務を徐々に民間委託していけば、自ずと行革が推進されていくはずであ
る。いかにして旧来の方式を抜本的に変化させるか、これには、官僚の捨て身の覚悟と住
民の意識の向上が必要である。今のままでは座して死を待つに等しいニッポン。あなたに
も何かができるはずである。

文献:ニュージーランド行革物語 PHP 1996年10月

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