20世紀は成長の時代であった。しかるに21世紀が成熟の時代であることを一般の国民はまだ心から理解している状況にはないようである。成長は、人生に同じく必ず止まるものであり、人口も無限に増えるものではなくいつかは終末を迎える。それを否定するものは神を冒涜するものであることを知るべき時代に我々は入っている。景気が悪い、景気回復をという前に、あなた自身の置かれた立場と未来への立場を慮り、真実を見極める努力を一人一人の国民が考える時代に我々は生きている。

 人間自身が刹那的動物であるが故に、目先の事象、環境に左右され小さな池の中で人は右往左右するものであるが、ある電力会社の社員から私の所に3月22日に電話連絡があった。

 それによると、最近その電力会社の営業所の窓口ならびに郵送窓口に、電気の使用量の一年間の月別電気使用量ならびに電力料金の問い合わせが急増しているがため、4月1日から1件の問い合わせに対し、300円の課金をする旨の本店からの営業所への通達が流れたとのこと。その理由として、電気使用の量とか額については、毎月の領収証を見ていれば解ることで、あらためて1年分の月別の使用量を問われるのはかなわないということらしい。ある意味でごもっともなことである。

 そもそも、なぜこのような問い合わせが急増しているかというと、冒頭に述べたパラダイムの変化を民間企業が敏感にキャッチしたからに他ならない。公共料金は、常に安定と批判の狭間におかれる運命にあり、景気が悪くなった昨今の経済情勢の下では、需要家は節電にありとあらゆる知恵を絞っているからである。実際、客商売の会社で、トイレ、通路等の通常、消灯をしてもかまわないところを徹底して消灯している企業は、今日では常態化している。その上で、ほかに何かできないかと必死の努力をしているというのが、実状である。

 折しも、電力供給事業を取り巻く環境は度重なる原発不祥事が重なり、新しい発電所の立地が難しい状況にある。かかるときに、需要家の節電にかける努力と関心には、買っても協力すべきというのが古くから伝わる儒教の仁の教えである。何ごとも、大変だから、手間がかかるからお金を取ろう頂こうというのではまた来た道を戻る拝金主義と同じとなる。そのようにとられても仕方がない。

 公益事業といえども企業が自社のポリシーを明確に打ち出し、正しいと思ったことを積極果敢に打ち出すことには賛成する。しかしながら、この300円課金方式は市役所の公租公課のような料金のイメージを伴い、このような局面で自己主張されるのは正しい判断であるとは思わない。これは顧客の考えに迎合することを説いていることを意味せず、感性(カンセイ)の問題である。

 この掲示板風メッセージでは、あえてどこの電力会社とは限定表示をしていないが、4月以降300円課金が実施された場合には公表されることになる。その理由は電気供給約款に則らない課金方式となるため、当サイトとしては、全国の需要家への情報発信基地の責任上、情報公開をすべきと判断をするからである。よきにつけ悪しきにつけ。