真の QUALITY OF LIFE 

真の QUALITY OF LIFE にむかって

★不景気を嘆くなかれ
 いよいよ不景気が深刻になってくると、調整インフレというインフレ期待感が台頭す
る。すなわち、資産の価格上昇によって国民の『富裕感』が高まれば、金融の信用回復につ
ながり景気回復に結びつくという考えである。  だがこれは、バブル経済の考え方そのもの
にほかならない。10年間続いた「年間100兆円の資産デフレ」が、なぜ、生じているの
かについての正しい理解がなければ、この考え方を戒めることはできない。
 また、こうもいう人がある。
 「資本主義経済において経済成長を持続させる為には、緩やかな資産インフレは必要不可
欠ではないか。資産価格が永久に下落するならば、誰も『所有』に価値を置かなくなる。憲法
が個人の所有権を認めても、その権利を行使する者がいなくなる。企業経営者は、融資を受け
ての事業拡大を躊躇してしまう(評価損の増大リスクを恐れて)。果たして、それで良いも
のであろうか。」
 この考え方は、一面的には正しい。だが、これを正解とすれば、経済は経済変動を伴わ
ない常に右肩上がりの経済となり、破滅的な膨張主義を認めるだけであって経済学など必
要がなくなる。この人たちにとって、資産とは、住宅・土地そのものを指しているのであ
ろうが、いささか旧聞に属する。
  日本経済のありようを考える場合、たしかに資産の代表格である「土地」が果たしてき
た信用力を抜きに考えることはできない。つまり、土地資本主義という単純で明快な発想
で右肩上がりの内は経済がうまく機能したのである。だが、人が本来の生活をするための
住宅地についても、単純な市場経済に任せきりにしたため、土地バブルが加速し過ぎ、制
御不能な事態に陥ったのである。その結果が銀行の不良債権の山だ。世の中、規制はあま
た存在するものの、住宅土地に関する価格規制を含めた規制は殆どない。したがって、住
民がこぞって反対している住宅地に、地上げによって得た狭小な土地に高層マンションを
建て、70-80平米の住環境を数千万円で売るなどということがまだ繰り返されてい
る。建築確認申請と許可は経ている、建坪率、容積率も合法的であるとのことで、事業者
は建築を強行しているというような構図が未だ東京のあちこちで起きている。毎年発表さ
れる路線価なるものも、価格の下支え効果に利用されている節がある。賢い消費者に徹す
ることができるかどうかで住宅地の値段は更に下がり続ける。なぜ、プロの不動産屋から
住宅地を買う必要があるか、なぜ、マンションの、土地の値下がりを嘆くのか。とどのつ
まり、そこには不労所得を認めるという発想が根底にあるからだ。こういった考えが続く
とすれば、インターネットを通じた、業者抜きの地域に密着したコミュニティー開発型の
異端の土地取引システムが今後は出て来てもおかしくはない。マクドナルドのハンバーガ
ーが本家のアメリカより安くなる時代だ。すべての物価は、グローバルプライスシフトに
向かっていく傾向をはらんでいるといえる。
 土地業者は典型的な守旧派発想の業種と思うが、生き残りのためにあの手この手の妙案
を考え出している。ちなみに、2000年11月30日からは不動産投資信託が設定可能
になっているが、2001年の春には証券取引所に上場される予定とされた不動産投信は
どうなったか。今年の秋頃から販売を開始するそうである。株式投信と違い、組み入れ資
産の土地自体が売却される訳ではないので『価格の安定性は高い』そうだが、こういった
ものは、土地の所有権ではなく使用権を重視していくという考え方、すなわち、定期借地
権(それも50年間以上の長いもの)が所有権に代わって一般化しない限り無理がある。
制度を作りはしたが、不動産投信が置かれている基礎的枠組みを無視したやり方だと成功
しない。むしろ、国がそういった矛盾を率先して明らかにしない限り、ババ抜きに会う
人、売り逃げに走る人の構図は変わらない。住宅ローン減税などという制度は、本体の土
地問題が解決の方向を向いていない限り、その場しのぎの策であって、踊らされる国民は
いい迷惑である。住宅地以外の商業地には収益還元法による所有権方式価格、住宅地につ
いては定期借地権方式による50年-100年の定借価格によるマーケットの醸成をはか
るなど政策を行うことが本筋で、そのようなレールが敷かれたときに新たな成長が始まる
のだ。土地資本主義からの脱却過程では、土地を持っている者のなかで住宅地の資産デフ
レが引き起こされる場合があるが、これは、悪いことばかりではない。なぜなら、資産デ
フレとなれば、固定資産税の低下、贈与税の減免、免除といったことが容易に想定され、
むしろ暮らしやすい世の中になるはずだ。若者の少子化も改善され、若者に希望を与える
ことになる。問題は、社会主義国家化した大きな政府を小さな政府に変えることが前提と
なる。このため、余程の政治的リーダーシップが必要になる。

★中年借金族を再生させる法
 1990年代、米国株式の時価総額は、毎年約100兆円の規模で増大し、米国の消費と投
資を牽引した。その一方、日本の不動産価値は、1990年代に1,000兆円を超える大暴
落(約2,200兆円から約1,200兆円へ)を見た(正常の状態にほぼ戻って来つつ
あると考える)。一年に約100兆円の規模で資産価値が減少した事になる。
 しかし、1990年代の10年間に国民金融資産は979兆円(1990年度)から2
000年度の1,385兆円へと41%ほど増加している(年3-4%位の貯金をこの1
0年間、国民はしっかりやってきたという計算になる)。国民金融資産をみる限り決して
資産デフレに陥っているわけではない。要するに不動産業界を中心とした産業界という法
人がバブルに踊り、バブルに負けたということだ。
 国民金融資産は低下する株価の影響を受けて、1999年度末の1,389兆円(現
金・預金752兆円(53.4%)、株式132兆円(9.4%)その他)からは約5兆円減少してい
る。
 現状、悲しいことは国民金融資産1385兆円のうち、755兆円が銀行預金という運
用能力のない部門へ向かっていることであり、株式などの民間投資に回っている率は89
兆円で6%に過ぎない。昔から資産3分割法というのがあるが、現金預金に半分以上、極
端に偏る今の状況はきわめて異常だ。
 ちなみに2000年度末の日米の金融資産構成の違いでもっとも顕著な点は、日/米で
現金預金で54%/11%、債権で4%/9%、投信で2%/12%、株式で6%/3
5%と、構造的に大きな違いがある。
 一流大学を出た、官僚上がりで英語ができるというふれこみで、決して頭が良いわけで
もないが、首相も経験した、その後小渕、森内閣で大蔵大臣もやったというあの好々爺風
の御仁が、臆することもなく日本経済の「破局」という言葉を使ったように、財政の専門
家も国全体の借金の総額を1000兆円を超えると見ている。755兆円の預金は、ある
意味で行き場を失った国民の死に金であり、銀行に預けているから安心だ、郵便局に預け
ているから安心だと思っている内に、財投ほかの資金に使われて食い散らかされている。
そんな構図が見えてくる。郵政事業民営化も裏を返せば、ペイオフ実施に合わせて民営化
しなければ、民業の圧迫、一層の財政悪化の繰り返しとなるため、苦肉の策という以外の
何ものでもない。田中大臣の『100兆円で株を上げてオダブツ』発言は、10年前から
の行革の失敗を集大成した、小渕政権に至る歴代自民党政権による経済政策の誤りを簡単
明瞭に説明している。国家財政を破局に導く程の膨大な借金を積み上げて、一時的に日経
平均を2万円に上げることはやったが、文字通り日本経済もオダブツになりかかっている
わけだ。
 一方、国民金融資産の2/3以上の900兆円は、65歳以上が保有していると考えられ
ており、パラサイトシングルが増えているという問題と無関係ともいえない。また、国民金
融負債は約390兆円あるが大半が30台からの中年層の住宅ローンである。日本の消費が
低迷する構造的要因の一つが、資産が高齢者に集中し、借金が中年層に集中するという状況
にある。高齢者はバブルの影響を受けず、中年者は土地、住宅・マンションというバブルに
踊ったためである。
 デフレが進行し失業者が増えると、この中年層の重荷になっている住宅ローンは破綻
し、競売市場の広がりという、従来あまり表に出なかった市場が栄えてくる。市場経済と
はそういうものだ。失業を契機に、住宅ローンまで国がセーフティーネットを張ることは
考えられないので、あり余っている公団住宅の売れ残りを住宅ローン破綻者に自分の住宅
を安くても売らせ(競売で半分以下の値段になり、しかもプロの土地住宅業者にもてあそ
ばれるよりはましであろう)、代わりに、時限的に(10年間とかの長期)公営賃貸住宅
として安く提供するなどして、新しい労働市場経済に変えていく必要がある。
 個人の側からいえば、従来、労働者の頭の中は終身雇用であったが、今は180度変わ
ってしまっている。およそ、これからの時代では、10年間もある会社に継続的に勤める
ことができたとした場合、「奇跡的でしたね」といわれる時代になったということではな
いかと思う。
 そんな状況の中で、繰り返しになるが不動産関連諸税、贈与税の制度的見直し等の、要
するに国がいかに国民から税金を取らない仕組みを作り上げるかが経済再生の要諦であ
る。いつまでも、働きのない公務員や国会議員が税金で食べさせてもらえる時代は続けら
れない。そういった意味では、自己防衛を国民は真剣に考え、行財政改革をしっかりと監
視し、誰が本当に改革者なのかを見極めていく必要がある。加えて、時間はかかろうが、
我が国における議員内閣制の制度疲労を根本的に補うものとして、21世紀の早い段階で
大統領制=憲法改正を計る必要がある。自民党を変えるという小泉さんの意欲には敬意を
表するものの、今のままのシステムでは無理がある。今のシステムでやるというのである
なら、徹底したポピュリズムで守旧派を引きずり回すしかあるまい。つい最近起きた、米
軍沖縄基地の米兵問題で米国との地位協定の見直しを求めないというスタンスは、あまり
に親米、自民党的な発想であり、改革、改革といっている割には、腰が折れている印象を
国民に与えたのではなかろうか。そういった意味で、大統領に強大な権力を持たせ、国の
進路を明確にし、長期にわたって責任ある行政を行っていくためにも、大統領制は避けて
通れない道であると考える。戦後50年以上が経過し、議員内閣制の下での政治は、一言
でいって無責任政治の温床ということだ。弱体化した野党に2大政党に基づく英国風の議
員内閣制などは到底、想像できない。それとも、小泉マジックがこの国を変えてくれるだ
ろうか。参議院議員選挙後は、むしろ政局の流れが変わるように思う。

備考:
国民金融資産は日銀が統計データとして捉えているデータで、インターネット上で入手で
きる。現金預金、株式、証券、保険年金準備金、その他投資の合計であり、土地・住宅の
評価額を含まない。2000年度末で、それぞれ順に55%,6%,7%,28%、3%
となっている。同様に国民金融負債は日銀が統計データとして捉えているデータで、イン
ターネット上で入手でき、民間と公的金融機関の貸出額であり、2000年度末で390
兆円ある。その内、住宅ローンが47%を占めている。

カテゴリー: 未分類, 社会一般 パーマリンク

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