首相公選制(1)

首相公選制(1)

 新年早々色々なことが起きている。公金をチョロまかす小人と連帯責任であるはずの内
閣官房、外務省の鼻持ちならぬ秘密性、幼児子供の虐待、凍り付く経済、殺伐とした自己
保身主義の蔓延現象。社会事件の背景にある動機や原因の多くの根底には、衣食遊に満ち
足りた民族の生き様が極めて不健康な状態であることを辛辣に表象している。こういうと
きは、どのような社会的立場におられる人であっても、冷静に、右顧左眄することなく正
義に背くことのない信念を持った行動をとることが何ごとにおいても大切になる。
 首相公選制の導入については、従来の議院内閣制による議会制民主主義の有り様が限界
を迎え末期現象にあると思われる現在、時期は別として今世紀最初の10年の間に大いに
議論が起こり実施に向けて動き出すものと考えられる。
★首相公選制待望論の背景
 国民の半数以上が選挙にいかないということは、国に魅力のある指標なり目標がないか
らであり、国民のエネルギーが鬱屈した形で消費されているからだ。池田内閣の所得倍増
計画、田中内閣当時の日本列島改造計画などは、国民に対して明確なメッセージがあった
ればこそ、経済の拡大が計られ、また歴史的な評価もされたといえる。首相公選制は、参
政権意識の拡大と政治意識の変革をもたらす一つの切り札として、早急な導入を国民的議
論とともに実施に向け、具体的スケジュールを立てる時にきていると考えられる。
 現行の、国会で衆議院議員の中から総理大臣を選ぶという議院内閣制では、国民が間接的
に選んだ議員の会する立法府の中から多数派を占めた党派が行政府を形づくる。また、か
つて、何ごとにおいても対立軸を好まない国民性のおかげもあって、自民党長期政権は政
官業の癒着した複合的利権構造を造るに至った。国民が全般的に保守的であり、ものがな
い時代に我慢を教えられた時代背景にあってはそれを通すことができた。しかし長期単独
政権の下で病巣が拡大し、収賄、贈賄汚職、組織的かつ構造的な腐敗、インモラル、精神
病、自己矛盾、自己中弊害等が噴出して、国民の政治、行政に対する不信は極限に達してい
る。このようなときこそ、立法、行政、司法の三権分立を明確にし、少なくとも行政が国民に
背を向けたままでなく、国民に奉仕する立場を理解させるために、癒着構造にある議院内閣
制を廃止して、国民が直接投票する首相公選の制度を導入するという考えが意味を持ってく
る。
★選良(エリート)の監視という視点から
 国家公務員には、明治以来の形骸化した選良意識を根底に、未だに国民を「管理する」
という考えがある。これが考え方の原点である。なぜそうなるかというと、現在の国家公
務員法の下では、公務員に停年というものがないという点に象徴的に現れている。つまり
いったん就職したら、一生そこで生活ができる仕組みになっているのである。地方公務員
も同様である。現に中学高校教員の実に1割に相当する人員は何の仕事もしていないノイ
ローゼ症候群のいってみれば病人だ。生徒もおかしい先生もおかしいという世界は、そも
そも、職場の仕組みにある。世間の常識では、「働かざるもの(成果のないもの)、食う
べからず」である。本来、公務員の行うべき仕事の方向付けをするのが職業政治家のはず
だが、政治家のレベルが低いことと、リーダーシップに欠けることから、一生安定した仕
事である公務員の悪知恵にはかなわないということがある。つい最近の外務省役人による
公金横領事件、それも7年にもわたる長期ときては、政治家は完全に舐められているか一
蓮托生としかいいようがないのでなかろうか。そもそも仕組みが悪ければ、何年経って
も、何十年たっても過ちは繰り返される。
 行政の仕組みがうまくいっている国は多い。たとえば、今回、アメリカでは、クリント
ン氏からブッシュ氏への政権移行があったが、ホワイトハウス関連の8,000人強の職
員は民主党政権から共和党政権への移行に伴い、全職員が入れ替わったのである。それが
近代国家というものであろう。日本のように内閣の職員は政権が変わっても失職しないと
いうシステムとは違う。つまり、本来の公務員という仕事はそれだけ、ハードな仕事(厳
しい仕事)なのである。ぬるま湯に使った世界では、何も建設的なことはできないし、な
あなあの談合路線で行き着く先は国の崩壊である。そのようなわけで、首相公選制論議が
でてくる。
★システムそのものを巡ってのディベート論
 首相公選制と大統領制の違いは形式上、立憲君主制のもとにおける民主制か、大統領制
のもとにおける民主制かといった程度の差はあるが、基本的に民意を直接反映させるとい
う点で共通している。また、どちらも憲法改正の作業を伴う。
 現状、地方自治は知事を直接選挙でそれぞれの自治体住民が選出するから、住民の民意
は反映されているといえる。その地方分権型の自治政治の行方には、「連邦」の夢と希望
の結実を賭した新生日本をいかに創り上げるかという目標がある。この新生日本を創造す
るための象徴的手法の一つが国民投票による首相公選制もしくは大統領制である。
 このシステムを巡っての賛成反対意見の論点を紹介すると、
1)メディオクラシー論(反対意見) 
 メディオクラシーを引き起こす可能性がある。つまり、世論が、すべての問題を決定す
ることがきるし、また決定を下すだろうという考え方は一見きわめて民主的にみえるが、
実際は民主政治を破壊するものである。市民はマスメディアからの情報に頼っており、メ
ディアは市民をコントロールできるようになる。これをメディオクラシーという。政治家
は、政策について一般の選挙民より少しでも優れた見識をもっているから選ばれるのであ
り、自らの見識を選挙民に問い、選挙民の判断を仰ぐのである、という考え方。
 確かに選挙民は、個別の政策について、ましてや諸政策の連関について分析したり判別
したりする能力に不足している。しかし、代表者の人格や識見や経験についておおまかな
審判を下すことくらいの能力は選挙民にも備わっている。また、残念ながら代議政治にも
衆愚政治に陥る危険性はあり、選挙で選出された議員が議会に提出される案件のすべて、
たとえば予算案などを完全に理解しているわけでもない。
2)マスコミ無責任論(反対意見) 
 発達したメディアを活用するマスコミは、国会に先行しはじめた「第四の権力者」であ
る。マスコミはその商業的な性格から保守的な内容を嫌い、常に大衆を煽り、無知な大衆
は、言われるままに鵜呑みにする。この国が金持ちだと思わせ、財テクブームを巻き起こ
したのも蹴ちらしたのも、マスコミに負うところがかなりある。つまりマスコミ無責任論
である。マスコミの誘導に民意は影響を受けやすい。有力なマスコミが協力して誘導-と
きには扇動-すれば、民意は比較的たやすくそれに乗ってくる傾向がある。これも、民意
が持つ特性の一つだ、といわなければならない。
 この考え方は一面の真理をついてはいるが、インターネット時代になると、one t
o oneの、しかも個人あるいはグループの情報発信が質さえよければ、マスコミより
も大きな力となる場合もある(たとえば長野知事選ではitの役割が大きかったといわれ
ている。)
3)コスト膨大論(反対意見)
 直接民主制の欠陥としては、直接民主制そのものがはらみつつある費用面の欠陥がある
といわれる。国民投票などの公的費用はともかくとして、国民投票のキャンペーンに費用
がかかり過ぎることである。その結果、巨大な金力を要し、キャンペーンが拡大される
と、財力のない政党は、キャンペーンから身を引くことを余儀なくされるが、経済団体に
依存するようになる。現在でも、政党助成金という形で国庫の資金が使われており、これ
がお幅に増えるという風に自動的に考える必要もないものと思われる。徳政令で1社あた
り何千億円もの預金利息を国民の了解なしに振り替えることがまかり通る時代から考えれ
ば、コストといってもしれた話である。
4)政治の民意非反映論(賛成意見)
 そもそも、間接民主制(議院制民主主義)というものは、代表者(議員)が有権者から
信頼されていることを大前提として成り立つもの。ところが昨今、国会の中では「住専」
「原発」「消費税」など、国の重要課題の施策決定について、国民の意志をまったく無視
する議員、いともたやすく公約をやぶる議員が増殖するばかり。国民がこういった連中
を、そして彼らが巣食う機関を信用しない。内容の供わない「間接民主制」を認めない。
有権者が国会を見る目は厳しく、86%が不満を訴えている。住専金融専門会社(住専)問
題への巨額の税金投入に反対87%、消費税率5%引き上げに反対76%など、多くの人
が異議を唱えているが、その声は国会に届かない。民意と国会の落差、有権者の国会不信
が表れた結果である。この論点が賛成論でもっとも共感点の多いところである。
5)教育水準論(賛成意見) 
 20世紀初頭の欧米社会と、現在の日本社会とを比較した場合、国民の教育水準は確実
に向上し、あわせて、世界と自国について国民が得ている情報量は以前と比べて圧倒的に
多くなっている。また、いくぶん甘いところはあるものの、人権や平和への意識もある程
度は培ってきた。日本国民の「民度」は、現在、直接選挙による国民投票制度を多用して
いる世界各国の人々と比べて遜色はないと考える論。具体例として1996年8月4日に
行われた新潟県巻町の原発設置の可否の住民投票は次の点で大きな意味を残した。88.
92%という投票率は前年1995年の参議院選の44.52%のずばり倍という象徴的
な数値で、間接民主制の国政選挙を忌避した国民が直接民主制の住民投票に圧倒的な参加
の意志を表明したといえる。首相公選制は、大衆のエモーションを利用した扇動政治家の
出現を招きやすいという論は、些か形骸化した論となってきている。
6)コスモロジー論(賛成意見) 
 人々は自己の個人的な損得だけではなく、自国の利害、地球・人類全体の利害をも考慮
して判断を下す人間であることを求められる。それは、ときとして同胞への責任であった
り、他国の人々への責任であったりもするだろう。いずれにしても、自分で考え、自分で
決め、自分で責任をとるという行為は、自由で独立した人間のあるべき姿だと考える。そ
して、国民投票はその意思表示のための最良の手段となる。このレベルまでくれば、本物
だ。
以下次号:

備考:
*国民投票制度:憲法改正、法律の制定などの重要案件を国民に直接問う制度。日本で
は、(1)憲法改正の国民投票(2)最高裁判所裁判官の国民審査(3)地方特別法制定の住民
投票、が憲法に定められているが、一般的な政策の是非を問う制度はない。
*首相公選法案提出の条件:国会に法案を提出するには、衆議院議員50名(参議院20
名)以上の賛成と、予算書を提出しなければならない。
*包括的国民投票システム案
a)条件
1、国会の議決については、議決後2ヶ月以内に100万票の署名が集められた場合、国
  民投票を実施します。
2、国民からの発議については、申請から2ヶ月以内に100万票の署名が集められた場
  合、国民投票を実施します。
b)期日
署名が集められた後、約1ヶ月後に国民投票を実施します。
c)可決
投票数の過半数をもって可決とします。
d)法的効力
国民投票の結果は法的な拘束力を有します。
e)実行方法 
選挙管理委員会の管理のもと、衆議院選挙の場合と同じく全国で同一日に選挙を行いま
す。
f)費用
国民投票に必要な費用は国家予算で負担します。
g)その他必要な微調整はそのつど行われます。

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