冷え込む景気と政治の行方

冷え込む景気と政治の行方

 ★野中という男 
 男75歳、一般論として、たしかに年齢的には老境の域に達しているものである。した
がって、辞意をもらし好きにさせてくれといって、幹事長を辞任したとしても不思議では
ない。だが、、。先週末までの整理をしてみると、 
 自民党の野中広務幹事長は12月1日午後、首相官邸で森首相と会談し、内閣改造・自
民党役員人事を機に幹事長を辞任したい考えを伝えた。首相は強く慰留したが、野中氏の
辞意は固く、最終的に了承した。首相は党三役人事に着手し、幹事長に古賀誠国会対策委
員長(加藤派)の起用を決めた。総務会長には村岡兼造・元官房長官(橋本派)を内定、
政調会長は亀井静香氏(江藤・亀井派)の留任とした。首相は同日午後の自民、公明、保
守三党の党首・幹事長会談で、5日に内閣改造を実施する方針を表明した。首相はこの
後、宮沢蔵相に留任を要請、宮沢氏も受け入れた。
 こうして自民党の野中幹事長の後任に古賀誠国会対策委員長に決まったことが、加藤派
に波紋を広げている。古賀氏が加藤紘一・元幹事長の不信任案同調を批判し、池田行彦・
元外相らのグループの中核メンバーとして加藤派切り崩し工作を主導したためだ。また、
古賀氏の幹事長就任が池田グループの勢力拡大や、党内の「加藤包囲網」の強化につなが
ることを警戒したためだ。だが、加藤はまな板の上の鯉の状況にある。
 野中は加藤氏を切るのではないかという考えもあるが、これはあたらない。切る切らな
いのレベルはもはや野中には当てはまらない。古武士然とした物腰、硬派的戦略と人心掌
握力を身につけた野中が本気で動けば、とうに不信任案否決の際に切っているはずだ。小
里、野中がそろって引く裏には、若手への期待といい意味での院政意識が働いているのか
も知れない。戦国の武将に例えれば、知将ではあるが人望に今ひとつ欠けた光秀を倒した
秀吉のようなものかも知れない。一方で、生き残った、加藤氏は野中氏との関係の再構築
を、すなわち加藤氏が橋本派との関係修復を探るとすれば、古賀氏がパイプ役を果たすの
は間違いない。そこで生き残った人間が生き返るという構図を描く人間もいるが、これは
敗者復活戦という点ではスポーツの世界では通ずるが、政治の世界は別儀である。野中は
橋本派の中でもっと大きな役割を果たすような気がする。次の若手総裁作りのキングメー
カーとしてである。表向きの辞任の理由について、(1)森政権誕生の過程で、ヤミで作
られたような印象を与えて申し訳ない(2)議席を減らした2000年6月の総選挙の結
果や、(3)内閣不信任決議案採決で加藤、山崎両派から多数の欠席者を出したことにけ
じめをつけたい――などを挙げてはいるが、もともと、野中という男は行財政改革には積
極論者である。単なるもめ事処理の請負が器用というだけの人物でないと考えておく必要
がある。野中は橋本派であり、橋本派会長の橋本元首相は行政改革推進論者であるから、
橋本派の肥大化とともに野中氏の役割は大きくなるように思われる。そういうふうに眺め
てくると、加藤派残留組は近い将来、橋本派を含めて他派からの草刈り場となっていく可
能性の方がはるかに大きいと見るのが妥当であろう。(加藤、野中両氏の経歴を参考に奧
付きに)

 ★森はいずこ、株価は低迷か
 このような中、森喜朗首相は野中氏の辞任を受け、1日夕、首相官邸に古賀、村岡両氏
を呼び、野中氏の後任幹事長に古賀氏、不信任案採決の本会議に欠席した責任をとって辞
意を表明している小里貞利総務会長の後任に村岡氏を起用する考えを示し、両氏とも受諾
した。政調会長は引き続き亀井氏が務める。党三役人事は、5日の総務会で正式決定す
る。
 幹事長に内定した古賀氏は野中氏の信任が厚く、加藤派に所属するが、加藤紘一・元幹
事長らが不信任案に同調しようとした際、加藤派切り崩しの中心的役割を果たした。国対
委員長として国会運営で手腕を発揮したことや、党総務局長を務め選挙対策に精通してい
ることから、来年の通常国会や参院選に向けて適任と判断された。
 自民党橋本派は1日、幹事長を辞任する野中広務氏を同派副会長兼事務総長に充てるこ
とを決めた。野中氏は事務総長として、来年夏の参院選に向けた同派の選挙対策を取り仕
切るほか、党役員人事などに関して、他派や党執行部との交渉役を務める。また、同派の
村岡兼造・会長代理や野呂田芳成事務総長は派閥ポストを離れる。後任の会長代理には、
西田司氏が就任する予定だ。竹下派、小渕派の流れをくむ橋本派が、党運営の中枢である
総裁、幹事長とも出さないのは村山内閣以来のことになる。橋本派は明確に次を意識した
行動であり、2001年の参議院選を戦う準備を始めたということだろう。
それにしても、1期で辞めるといった宏池会の宮沢蔵相、留任要請を受け入れということ
であるが、この人はどうもよくわからない。能吏ではあるのだろうが、蔵相以外のポスト
は務まらないないということか。本来、日本のためには宏池会の分裂を計ってあげた方が
加藤氏のためにはよいのであろうが、宏池会が分裂するのではないかとの懸念があること
についてあいかわらず、「そんなことにはならない。そういう感じではない」と平衡を維
持することに価値をおいている守旧論者であ。
 株式市場は、資金の調達場所として、資本主義経済の重要な役割を果たしているが、今
まで、過度に政治動向に振り回され過ぎてきたきらいがある。この数日の動きを見ている
と、依然と低迷はしているものの、政治を離れたかなという印象を持つ。つまり、民間が
独自の動きを始めてきたかというような節がある。いままで、やたらとIT関連がはやさ
れてきたが、いたずらに低く押さえられていた製造業関連、エネルギー関連、環境関連の
動きが活発化してきている。ITなどのおよそ生産的ではない、「使い勝手のよさ」産業
が産業連関の中であまり波及効果がなく、やはり大きいところは製造業の動向だという気
がする。本来製造業は何をしなければならないかという原点に立って生産活動を見直して
いけば、需要の掘り起こしはいくらでもある。例えば、最近の住宅製造技術はめざましい
進歩を遂げ、30年、50年保証住宅などというものも出てきている。住宅の価格が安く
なり、若い人が手に入れやすくなるためには、土地の価格の統制もしくは遊休地の大幅課
税、それによる財源で土地の格安放出など抜本的方策がそろそろ必要かというように思
う。次の参衆議員選挙で、その辺のところを明確に打ち出し、国としてのビジョンを明確
にした者が国民の支持を得ていくことになる。蘇った自民党連合がやるのか、民主党連合
がやるのか、あるいは国民サイドとして、どちらにやらせるのか、判断の時期にきてい
る。

加藤紘一 衆議院議員・山形県4区選出・当選10回  
1939年6月17日生  山形県鶴岡市出身 
 妻:愛子 長女 次女 三女 長男 趣味: 料理、読書、カラオケ 
 好きな言葉:真実一路 
 昭和14  6月17日 鶴岡市に父・精三、母・信の五男として生まれる 
 昭和30   4月 日比谷高校入学 
 昭和34 20歳 4月 東京大学法学部政治学科・公法学科入学 
 昭和38   9月  外務公務員上級試験合格 
 昭和39   3月 東京大学政治学科・公法学科卒業 
       4月 外務省入省 
       8月 在台北大使館勤務 
 昭和41   6月 在ワシントン大使館勤務 
 昭和42    ハーバード大学修士課程修了 
       6月 在香港総領事館副領事 
 昭和44   6月 外務省アジア局中国課次席事務官 
 昭和46  12月 外務省退官、地元へ帰る 
 昭和47  12月10日 第33回総選挙、初当選 
       12月 自民党研修局次長 
 昭和49    自民党国際局次長 
 昭和51   12月5日 第34回総選挙、当選2回 
 昭和53   12月7日 内閣官房副長官(第一次大平内閣) 
 昭和54  10月7日 第35回総選挙、当選3回 
       11月9日  内閣官房副長官(第二次大平内閣) 
       6月 第6回サミット(ベネチアで開催)に同行 
 昭和55   6月22日 初の衆参(第36回衆院、第12回参院)同日選挙、当選4回 
 昭和56   12月 衆議院農林水産委員会理事 
       自由民主党政務調査会農林部会長 
 昭和58   12月 第37回衆議院議員選挙、当選5回 
       12月 自由民主党総務局長 
       自由民主党政務調査会総合農政調査会副会長 
 昭和59   11月 国務大臣防衛庁長官(第二次中曽根・第二次改造内閣) 
 昭和60   12月28日 国務大臣防衛庁長官(第二次中曽根・第三次改造内閣) 
 昭和61   7月6日  第38回衆議院議員選挙、当選6回 
       自由民主党政務調査会会長代理 
 昭和62   11月 自由民主党政務調査会林政調査会長 
       自由民主党政務調査会農産物自由化問題等小委員会 
       自由民主党政務調査会林政調査会長 
 平成元年 50歳 1月13日 自由民主党政務調査会総合農政調査会会長 
 平成2   2月18日 第39回衆議院議員選挙、当選7回 
      10月12日 衆議院国連平和協力に関する特別委員会委員長 
 平成3   11月5日 内閣官房長官(宮澤内閣) 
 平成4   12月 自由民主党幹事長代理 
 平成5     第40回衆議院議員選挙、当選8回 
 平成6   7月 自由民主党政務調査会長 
 平成7   9月 自由民主党幹事長 
 平成8     第41回衆議院議員選挙、当選9回 
 平成10   12月 宏池会会長 
 平成12   6月 第42回衆議院議員選挙、当選10回 
 
野中 広務  
生年月日:  大正14年10月20日  
選挙区:  京都府第4区   当選:  7回  
<略歴・現職>  
昭和26年 園部町議(3期) 
昭和33年 園部町長(2期) 
昭和42年 京都府議会議員(3期) 
昭和53年 京都府副知事 
昭和63年 建設政務次官 
平成 3年 衆院・逓信委員長、党総務局長  
平成 5年 衆院建設委員長 
平成 6年 自治大臣・国家公安委員長 
平成 7年 党幹事長代理・選挙対策総局長 
平成10年 内閣官房長官 
平成11年 沖縄開発庁長官[兼務] 
平成12年 党幹事長

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