最高裁の参審制提言に関して

最高裁の参審制提言に関して

★報道に至る経緯と国内専門家の世論状況
平成12年9月10日から13日にかけての新聞各紙の報道によると、 最高裁が参審制
提言(重大事件などに限り意見表明容認)の報道があった。最高裁は、刑罰に死刑や無期
懲役が含まれるような社会的に影響の大きい刑事事件や名誉棄損訴訟など民事裁判の一部
に、国民から選ばれた参審員が裁判官と一緒に審理する「参審制」の導入を提言する方針
を決定した。裁判官の独立を定めた憲法とのかねあいから、参審員については、意見表明
はできるが評決権を持たないという「独、仏、伊型」を考えている。米、英、加などはご
存じの方も多いと思うが陪審型の参審制である。
日本弁護士連合会はかねてから「陪審員制」の導入を主張しており、最高裁が参審制の
導入に向けて踏み込んだことで、国民の司法参加をめぐる議論は大きく進みそうだ。
最高裁(司法制度改革審議会(会長・佐藤幸治京都大教授))は日弁連、法務省などの
意見を聞いて、9月中に陪審制や参審制の導入の是非について集中的に審議し、11月に
予定される中間答申で一定の方向性を打ち出すという。
最高裁はこれまで、知的財産権や医療過誤など専門的知識を必要とする民事訴訟に限っ
て、専門家を合議体に加える「専門参審制」という形での採用には積極姿勢を示してい
た。しかし、国民の裁判への参加を求める声を受けて、刑事裁判や通常の民事裁判に一般
市民が加わる通常の参審制の導入の是非を検討。15人の最高裁裁判官で構成される裁判
官会議で、参審制を認める方針が了承された。
最高裁が検討している参審制は、職業裁判官3人と国民から選ばれた参審員2人の計5
人で下級審の裁判体を構成する。参審員は事件の記録を読んで、合議の場では裁判官の問
題提起に対して意見を述べる。
重大な刑事裁判のほか、民事裁判についても、最高裁は「法律関係や事実関係が複雑
で、一般の国民が理解するのに時間がかかるなど、負担が大きすぎるものがある」としな
がらも、名誉棄損をめぐる慰謝料請求訴訟や隣近所の争い、借地借家に関する紛争など
「国民の意見を反映させるのにふさわしい事件」は参審制の対象に想定している。
参審制や陪審制の導入をめぐっては、裁判官の独立や身分保障を定めた憲法に抵触しな
いかが議論されてきた。「憲法は専門的な裁判官を想定していて、素人の臨時裁判官を認
める余地はない」という考え方が違憲論の根拠で、合憲の立場からは「国民主権の原則に
照らし、当然許される」という反論があった。
こうした議論を踏まえ、最高裁は、参審員が評決権を持たず、その意見が裁判官を拘束
しなければ問題はないと判断。参審員には意見表明のみを認める方向だ。「評決権がなく
ても、国民が裁判官と一緒に審理する過程を通じて、国民の意識や感覚を裁判に反映でき
る長所が期待できる」としている。
司法改革審では日弁連が、(1)刑事裁判では、当面は重罪事件の否認事件について被
告が職業裁判官の裁判か陪審裁判を選ぶ選択的陪審制(2)国が一方当事者となる国家賠
償訴訟に選択的民事陪審制を導入することを提案している。

★欧米の陪審員制度の歴史的経緯
同志社大学教授北尾謙治氏によると、陪審員の制度は古く、紀元前399年にギリシャ
のアテネで行われたソクラテスの裁判に501人の市民が陪審員になっている。しかし、
それ以後は1600年代まで陪審員ではなく裁判官が有罪か無罪を決定していた。
中世の英国では訴えられた人の知人はその人が有罪か無罪か、どう信ずるかを述べさせ
られた。14世紀まではこのような知人の意見が証拠として利用され、17世紀に現在の
ような陪審員制度に近づいた。
陪審員制度では有罪か無罪の判断は全員一致を原則としているので、ある時間以上経っ
ても意見がまとまらない場合は、裁判は陪審員を変えてやり直しとなる。もし陪審員が無
罪の判断を下しても、それは被告が有罪となる十分な証拠がなかったということになる。
陪審員制度では、原告は12人の陪審員に被告が有罪であることを信じさせなければな
らない。これは民衆は、判事は権力者の見方をするとの考えからそれを防ぐためのもので
もある。
英国が北米の東海岸を植民地にした時にはこの陪審員制度を植民地に認め、アメリカの
独立後は憲法と権利章典で陪審員制度が認められている。
陪審員は選挙の登録や資産の権利証等により選出される。実際に必要な陪審員よりも多
くの人々が選出され、被告と原告は面接して拒否できる。裁判事項に関しての確定した意
見を有するような人は陪審員になれない。もし既にその事件の報道が多くされていれば、
被告は場所と陪審員を変えて裁判を受けられる。
また、京都大学法学部の大石眞教授によると、陪審制とは、「職業法律家でない一般民
衆を裁判に参加させる制度を広く指し」、「その発祥地であるアメリカやイギリスでは、
正式起訴をするかどうかを決定する起訴陪審(大陪審)と、審理に立ち会い、裁判官から
独立して評決を行う公判陪審(小陪審)の二つに分けられる。」
大陪審は陪審制度の中心的機関であり、アメリカでは一般市民から選ばれた陪審員が検
察官による犯罪の起訴状に基づいて犯罪の有無を審理し、起訴するかどうかを決定する。
大陪審は起訴陪審とも言われ、裁判ではなく捜査の一環であり、審議内容は非公開であ
る。一方、小陪審とは証拠を聴取し被告人の有罪無罪について評決を下すものである。
現在、陪審制度及び参審制度のいずれも持たないのは韓国・台湾・フィリピンなど、限
られる。とりわけ先進国の中で司法参加を認めないのは、日本だけである。
一方、ドイツや旧共産諸国等においては、裁判は一般市民と職業裁判官との合議による
「参審制度」が広く採用されている。
13世紀に大陪審を取り入れたイギリスは、小陪審を形成した後、大陪審を廃止して小
陪審のみの今日の姿になっている。アメリカは、イギリスにならい刑事陪審において大陪
審及び小陪審をもち、州によっては民事陪審を持つところもある。陪審裁判を受ける権利
は合衆国憲法第3条と基本的人権に関する修正第6条に規定され、各州の憲法でも保証さ
れている。又、地域によっては未成年者の軽犯罪について、裁判官以外の検察・陪審員等
などをすべて未成年者で構成されている裁判を行い、罰として一定期間社会奉仕に従事さ
せるという(Teen Court)と呼ばれる制度を持つ所も存在する。このように、若年期から
司法参加に対する考え方を確立させるアメリカは、世界でも最も陪審制度の進んだ国であ
る。ヨーロッパではフランス革命後、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーで陪
審制度が確立した。フランスは大陪審・小陪審を形成したが、今日までに大陪審を廃止
し、小倍審においても参審制度を用いている状況にある。一方、ドイツはフランスを範に
陪審制度を導入したが、現在はこれを廃止し、参審制度を取っている。

★我国の陪審員制度の歴史的経緯
歴史を紐解いてみると、陪審制度は外国だけに特有の制度ではなく、戦前、我が国にも
存在した。我が国の陪審制は、1923年の「陪審法」制定に基づいて28年に始めら
れ、43年に「時局」を理由に(戦争終治までとの条件付きで)停止されるまで、15年
間にわたって刑事事件について行われている。いわゆる大正デモクラシーの時代に、民主
主義の基本として普通選挙と併せて国民の司法参加を求める声が高まった所以である。政
友会の原敬は第26回帝国議会に「陪審制度設立に関する建議書」を提出、陪審制度導入
のきっかけとなったのである。社会制度の不備や不公正に対して国民側から多くの意見が
出され、政治に反映されたといってよい。自由と豊かさのなかで政治的無関心が蔓延して
いる現在と比べても、当時の方が政治に対して正面から取り組む姿勢があったといえる。
陪審制度導入もそうした国民的世論の高まりの代表例のひとつとして位置づけることがで
きよう。新制度の徹底のための宣伝、普及活動も同時に進められ、全国で延べ3339回
もの講演会を開き124万人もの聴衆を集めた。さらに啓蒙パンフレット類284万枚を
作成、ほかに宣伝用映画11巻(うち日本映画7巻)も作成している。

★イギリス陪審制度の視察
東京3弁護士会陪審制度委員会は、1999年4月15日より19日まで、ロンドン、
ブリストル、オックスフォードの裁判所で、イギリスの陪審裁判制度の調査をしている。
その際の太田宗男氏によるリポートが参考になるので紹介する。
イギリスの陪審裁判は、現在は、ほぼ刑事事件のみで行われている状況で、刑事事件の
大半は、3人の素人のマジストレイト(治安判事)の主宰する法廷で処理されている。正
式起訴犯罪に分類される犯罪と、正式起訴を選択し得る犯罪が陪審裁判の対象となるが、
それらについての予備審問はマジストレイトコートで審理されている。素人のマジストレ
イトを補佐するために書記官は、ソリシターやバリスターの法律家が行っており、手続に
支障がないように運用している。つまり、刑事事件処理の大半が非法律家により処理され
ている。これに陪審裁判を含めれば、殆ど全ての刑事事件に非法律家が関与していること
になる。権力による裁判よりも同輩による裁判の方が、仮に過ちが起きたとしても、信頼
が置けると考えている。
証拠開示については厳格で、ブリストルで見学した陪審裁判では、開廷が宣言され、陪
審員の選定が終わると(イギリスでは陪審員の選定についての異議をほとんど認めないの
で、アトランダムに決められたものを基本的にそのまま受入れる)書記官により起訴状が
朗読されるが、そこで弁護人が証拠開示の問題を指摘。裁判官は陪審員を退廷させた上
で、弁護人から詳しい意見陳述を聞き、検察側からも意見を聞く。このときの事件はスー
パーマーケットでの万引き事件で、被告人は盗品を共犯として受取ったというもの。
万引きを実行した者は既に有罪答弁をし、刑罰を受けている。問題点は、店内を映した
ビデオフィルムを警察が押収しながら検察官に渡さずスーパーマーケットに返却してしま
ったため、弁護側が閲覧できず手続違反により無罪となる事案であるというもの。裁判官
は、押収した警察官や警備担当の店員を呼んで証言を聞いたが、直接は被告人の万引き関
与が映っていないので、警察官の判断で返却し、スーパーマーケットではそのフィルムを
再使用してしまったことが分かった。判例では、こうした場合は他に有力な証拠があるか
否かにかかわらず無罪になるようであり、検察側は証拠提出を一切しないとの申立てをし
た。したがって、陪審は、直ちに無罪評決を宣言した。
警察は全ての採集証拠をCPS(検察)に提出しなければならず、検察はその全てを被
告人に開示しなければならないルールであり、裁判結果については、実態的真実よりも手
続的公正さを重視するといえる。
オックスフォードの見学では、殺人事件で心神耗弱か否かの判断を問う内容であった
が、3人の医師が鑑定し、2人が心神耗弱を肯定する意見、1人が否定する意見を述べ
た。イギリスではアメリカと違って、裁判官が陪審への説示の中で、法律だけでなく事実
の要約も行うし、証拠の要約も行う。これを聞いていれば、裁判官の考えもおよそ予測が
つく。この件では、前者の鑑定意見に関する説明が長く、後者のは僅かであったので、裁
判官は心神耗弱を肯定する意見のように見受けられた。
2時間半程経過して入廷した陪審員の評決は心神耗弱を否定するもので、法定刑である
終身刑の判決が直ちに言い渡され、裁判官は恒例の陪審員への労いの言葉も掛けずに退廷
した。裁判官の心中が察せられた。どちらの考えが正しいのか分からないが、ここでは裁
判官も自分の思う通りの結論に導けず、国民は、同輩の裁判を、裁判官による裁判よりも
公正さにおいて優れていると考えていると考えられる。

★参審制否定論の根拠
現状の裁判制度に問題がある、ということを否定論者は認めている。しかし、それが陪
審制度によって解決されるかどうかは、大いに疑問というものである。その理由として、
参審制には根本的なデメリットがある。デメリットは、「誤った判決の増加」という点を
あげている。このデメリットが発生する理由は、おおむね3点に分けられる。
まず1点目は、そもそも陪審員は無責任であり、事実認定能力において劣っている。そ
して、陪審員の判決は覆らないので、今よりも誤った判決が増える。2点目は、陪審員は
マスコミに流されやすく、感情的になる。3点目は、陪審員は、買収、脅迫を受け、公平
な判断が出来ないという点。
以上のことから、否定論者は職業裁判官を信頼し、現状の小幅修正で問題は解決可能で
あると考えている。ただ、どれだけ立証できる論拠かというと問題ではある。仮に正論で
あるとした場合でも、その場合、法曹一元性の採用は必要と考えるべきである。つまり、
アメリカのように経験豊かな弁護士や検事が裁判官になる道を開くということである。そ
うでなければ、現実の問題解決にはほど遠いばかりか、国民の「感情」を吸収することさ
えできなくなる。現状制度では、司法独立というすり替え形骸論で弁護士が裁判官になる
ことはできない。

★山口の母子殺人事件と陪審員制度
99年4月、山口県光市で、少年A(当時18歳)が、強姦目的で、作業員を装い企業
社宅を訪問、主婦を襲い、抵抗したため殺害。更に殺害後、強姦し、そばにいた子供(1
1ヶ月)も床に叩き付けるなどして殺害した事件(更に少年Aは金品を奪い、そのまま友
人とゲームセンターで遊んでいたとのこと。)がある。
この事件に対し、山口地裁(渡辺了造裁判長)は検察側の死刑の求刑に対し、無期懲役
を言い渡した。無期懲役の理由として、「犯人の育った環境が恵まれなかったこと、内面
が未熟で更正の可能性があること」を挙げている。
この妻と子供を殺害された27才のご主人はテレビ朝日に出演し、その苦しみ、判決へ
の失望等を語っていた。その姿を見たとき、悲しみと同情、犯人への憤りを正直感じた。
この無期懲役という判決は、終身刑ではなく、犯人は少年法の関係で最短、7年で社会
復帰できる。つまり無期懲役といっても、実は、条件付懲役7年(最短)ということにな
る。そして、加害者は匿名で、被害者は実名で報道されていることを含め、加害者の人権
は手厚く保護され、被害者や被害者の家族の人権は全く無視されている。人を強姦し、殺
し、そばにいた子供まで殺した人間が条件付き懲役であること、これが正しい判決である
としたら、現代法は、正しい運用をされているということにはならないといえる。裁判官
は「更正の可能性」を無期懲役の理由としたが、更正しなかった場合は裁判官はどのよう
な責任をとることができるのだろうか。とることはできない筈である。陪審員制度とは、
完璧な制度とは思わないが、現代のような裁判制度のもとでは、陪審員全体で社会の選ば
れた代表者たちが責任をとって、判決までに導く民主的な制度であるという点で、より公
正な制度と考えることができる。これは、公のサービス業においても通用することで、よ
り、国民参加型の制度の導入を考える所に来ている。
最近、少年犯罪は激増をしており、このほか名古屋の少年による5000万円恐喝事件
も、集団で特定の少年をいじめ、恐喝し、更には病院まで金をむしり取りに押しかけてい
る。こんな少年達のどこに更正の可能性があるんだろうかと言う「素人の」考えも大切な
視点である。そもそも少年だから更正できる、という考え方でなく、大人でも誰でも更正
する人間はするのだろうし、そうじゃない人間もいる、と考えるべきなのではないだろう
か。
静岡県下田市でも、女子高生が殺害される事件があつた。犯人の男性(27歳)は被害
者の女子高生との別れ話によって、ストーカー行為を繰り返し、そのあげくの犯行である
が、この犯人は未成年時にも同じような犯罪(傷害事件)をおこしていた。このときも3
年弱で出所できたということだが、更正していなかったということになる。

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